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ニューヨークワイン&グレープ財団 創立40周年を祝して ― 次の40年へ ―

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後列: Charlie Cramton, Dr. Jim Hunter, Jim Finkle, Gene Pierce, Joe Gerace, NYS Commissioner of Agriculture,
前列: Martha Borgeson, Deputy Commissioner of NYSDAM, Governor Mario Cuomo, Jim Trezise
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1985年は、ライブ・エイドが開催され、ニュー・コークが登場し、マイクロソフト・ウィンドウズとソニー・ディスクマンの初期モデルが発売された年である。第1回レッスルマニアが開催され、イラン・コントラ事件が起こり、ホイットニー・ヒューストンのデビュー・アルバムが発表され、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が年間興行収入第1位を記録した年でもあった。

そして同じ1985年、ニューヨークワイン&グレープ財団(New York Wine & Grape Foundation、以下NYWGF)は、ワインおよびブドウ産業を支援するという明確な目的のもとに設立された。

当時、同財団は「ワインおよびブドウ産業は州の農業において重要な位置を占めており、ワイン、未発酵果汁、食用ブドウの継続的な生産は州経済にとって極めて重要である」とその意義を述べている。

2025年、NYWGFは創立40周年を迎えた。この40年の間に、ニューヨーク州におけるワイン生産とブドウ栽培の世界は大きく変化してきた。本稿では、その変化を目の当たりにし、また実際にその実現に寄与してきた人々の声を紹介する。

危機が機会を生む

「1980年代初頭、ニューヨークのブドウ産業は複数の要因により経済的危機に直面していた。景気低迷、補助金付きの輸入ワイン、消費者嗜好の変化、そしてフィンガー・レイクスにおける大手ワイナリーの企業所有構造の変化である」と同氏は語る。

NYWGFの設立は、4つの立法戦略の一環であった。その内容は、当時新製品であったワイン・クーラーをスーパーマーケットで販売可能にし、収穫されずに残るはずだったブドウの需要を即座に喚起したこと、酒販店でのニューヨークワインの試飲を認めて販売現場での露出を高めたこと、不要な規制を撤廃し小規模ワイナリーの直接販売を可能にしたワイナリー規制緩和、そしてロングアイランドからエリー湖に至る州全体のプロモーションと研究を統合・調整するための財団設立であった。

これらを実現するのは容易ではなかったが、トレザイズ氏は、当時のマリオ・クオモ州知事が、一部の酒販店からの強い反対がある中でも法整備を後押ししたことが大きかったと述べている。

「1983年10月のある金曜日、クオモ知事はニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたブドウ産業危機の記事を読み、農務長官のジョー・ジェラーチに『月曜正午までに解決策を提出せよ』と指示した」とトレザイズ氏は語る。二人はIBMセレクトリックを使い、徹夜で4項目からなる提案書を作成した。NYWGF設立後、わずか数年でブドウ産業は農業および観光分野において最も成長の速い分野となった。

「私はよく『危機は機会を生む』と言っている」とトレザイズ氏は語る。

2017年からNYWGFのエグゼクティブ・ディレクターを務めるサム・フィラーは、トレザイズ氏の有名な言葉「多様性は我々の強みであり、団結は我々の力である」を振り返り、その精神を今も引き継いでいる。

「多様な立場と異なる利害を持つ人々のコミュニティがあってこそ、財団は誕生した。ニューヨーク州が1985年にNYWGFを設立したのは、州のワインおよびブドウ産業の農業的・経済的可能性を強化するためであり、40年を経た今、その判断は極めて賢明であったことが証明されている」とフィラー氏は述べる。

協働が成長を生む

トレザイズ氏には、その構想を実現するために多くの協力者がいた。その初期から関わっていた人物の一人が、ニューヨーク州レストラン協会の元会長兼CEOであるリック・サンプソン氏である。

「ジム[トレザイズ]が早い段階でレストラン協会に目を向けたのは、私たちの会員が彼の顧客だったからである。長年の課題のひとつは、ニューヨーク州のレストランにニューヨーク産製品を扱ってもらうことだった」と、後にNYWGFの理事を務めることになるサンプソン氏は語る。

「今日の消費者は、かつてないほど洗練されており、地元産の製品を試したいと考えている。しかし、当時は必ずしもそうではなかった」と同氏は続ける。

設立当初、サンプソン氏は自身の組織とNYWGFとの協働を調整し、レストランにニューヨークワインを試してもらう機会を設けるとともに、レストラン協会のロビー活動の力を活用して、「財団への資金が継続的に拠出されるように尽力した」。

しかし、現在のNYWGFの確固たる存在感について、サンプソン氏はその多くをトレザイズの功績によるものだと評価している。

「ジム・トレザイズは、私にとって兄弟のような存在である。私は、彼がこの組織をゼロから築き上げていくのを見てきた。彼は一人で成し遂げたのではない。理事会と共に成し遂げたのである。理事会は年に3、4回集まるが、ジムは年52週、常に活動していた。彼はオールバニに赴き、耳を傾けてくれるあらゆる人々に語りかけていた」と語る。

サンプソン氏は、NYWGFが出発点から現在の姿に至ったことに敬意を表し、次のように述べている。

「会員の皆が、財団が果たしてきた役割と、その組織に対する献身を真に理解し、評価してくれることを願っている。そして、40年にわたる素晴らしい歩みに祝意を表したい」。

トレザイズ氏および財団初期の理事会メンバーの功績を認める業界のベテランは他にもいる。フィンガー・レイクスに拠点を置くマルティーニ・ヴィンヤーズ/アンソニー・ロード・ワイン・カンパニーの社長、ジョン・マルティーニ氏もその一人である。同氏は1973年にブドウ栽培を始め、当初はテイラー・ワイン社にブドウを供給していたが、1980年代に入ると状況は大きく変化し始めた。

「ブドウ市場は生産者にとって変化し、州全体でブドウ栽培の将来に対する懸念が高まっていた。多くの栽培農家が、生産者コミュニティと新興ワイナリーを支えるため、自らワイナリーを立ち上げた」とマルティーニ氏は語る。これらのワイナリーの多くは禁酒法時代の名残と向き合う必要があり、同氏は、トレザイズと理事会が「オールバニで多くの時間を費やし、そうした障壁を一つひとつ取り除くとともに、小規模生産者がワイン事業を立ち上げやすくするため、コストと書類手続きを軽減するファーム・ワイナリー・ライセンスを導入した」ことを振り返っている。

現在、ニューヨーク州が疑いなく世界のワイン産業の一角を占める存在となる一方で、グローバルなワイン業界は新たな逆風にも直面しているとマルティーニ氏は指摘する。その上で、「これまで以上に、財団が中心となり、物語を伝え、将来に向けて高品質なブドウを生産するために生産者を支援する答えを見出していく必要がある」と述べている。

NYWGF設立当初からその恩恵を受けてきたワイナリーの一つが、フィンガー・レイクスのグレノラ・ワイン・セラーズである。

「私たちの視点から見ると、財団はワインおよびブドウ産業に、ワインの世界、行政、そしてメディアにおける発言力を与えてくれた存在である」と、同ワイナリーの社長兼オーナーであるジーン・ピアース氏は語る。「設立以前は、業界の一部を代表する小規模な団体が数多く存在していたが、それらは大きな影響力を持っていなかった。しかし、NYWGFの誕生によって状況は一変した」。

「財団は、ワインおよびブドウ産業に影響を及ぼす課題や懸念を、地方、州、そして連邦レベルの行政機関へと届けることができる。その結果として、産業全体の成長が実現してきたのである」とピアース氏は述べる。具体的には、フィンガー・レイクス地域におけるワイナリー数が、1985年の約15軒から現在では140軒以上に増加したことを挙げている。

州全体で見ても、1985年当時は40軒未満であったワイナリー数は、現在では440軒を超えている。

献身が成功を生む

「過去40年間にわたる財団の成功と成長は、業界によって主導され、献身的な理事およびスタッフに率いられてきた組織であるという点に、その大きな要因がある」と、グレノラ・ワイン・セラーズの社長兼オーナーであるジーン・ピアース氏は述べている。

そうした献身的な理事の一人が、フィリス・フェダー氏である。「私がニューヨークワインに関わるようになったのは、1969年に夫ベン・フェダーがハドソン・バレーでクリントン・ヴィンヤーズを創設したことがきっかけである」とフェダー氏は語る。同氏は1990年代にNYWGFの理事会に加わり、やがて同財団初の女性理事長を務めることとなった。

当時のニューヨークワイン業界では、一部に意見の対立が生じ、別の組織を立ち上げる動きもあったという。しかし最終的には、「ニューヨークワイン&グレープ財団を弱体化させ、排除しようとするほど強い理念は存在しなかった」とフェダー氏は振り返る。

「その結果として、より強固な理事会、より強い財団、そして素晴らしい協働の精神が生まれたのである」と同氏は語る。

「この一員であったことを光栄に思っている。私は90代に差しかかった年齢であるが、そもそもこのような経験に恵まれたこと自体が幸運であった。ブドウを育て、ワインを造るというワインの世界に関わることは、私にとって非常に刺激的なことであった。その発展を推進する組織そのものに関わる機会を得られたことは、何にも代えがたい意味を持っている」とフェダー氏は語っている。

ハドソン・バレーのストラウトリッジ・ヴィンヤード共同オーナーであるキム・ワグナー氏もまた、NYWGFおよびその理事会の献身を高く評価している。

「財団は長年にわたり、さまざまな形で業界を支援してきた。中でも研究支援は中心的な役割を果たしている。ニューヨークの気候やブドウ品種は、他の主要ワイン生産州とは異なるため、ニューヨーク特有の課題に焦点を当てた取り組みは非常に重要である」と同氏は述べる。

また、ウェビナーやミニ・グラントを通じた業界内のスキル向上への取り組みが年々強化されている点についても触れ、「持続可能なブドウ栽培からワイン醸造、さらには販売・マーケティングに至るまで、幅広い分野において非常に価値のある支援となっている」と評価している。

さらにワグナー氏は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が業界にもたらした課題に対するNYWGFの対応を称賛する。

「私たちが『重要事業』として営業を継続するために従う必要があった規制指針を整理し、迅速に共有してくれたことは非常に助けになった。朝9時に新たな規制が発表され、その日の午後の開店までに内容を把握しなければならないという状況もあり、極めて困難な時期であった。混乱の中で事業を続けようとする私たちを見守り、支えてくれる組織があったことは大きな支えであった」と語っている。

最後にワグナー氏は、NYWGFがワイン用ブドウだけでなく、州内のブドウ産業全体に奉仕している点を認識することの重要性を指摘する。

「この組織はワインだけのためのものではない。設立を定めた法律により、食用ブドウや果汁用ブドウを含む、ワインおよびブドウ産業全体を幅広く代表する仕組みが確保されているのである」と述べている。

フィンガー・レイクスで、夫ウォルターとともに現在の形のバリー・ヒル・ヴィンヤーズを築いたリリアン・テイラー氏は、NYWGFについて「バリー・ヒルを含む地域全体にとって、非常に優れたアンバサダーである」と語る。「長年にわたり、NYWGFはニューヨークワインの評価を国内外で高めるために尽力してきた」と述べている。

同財団が提供してきた継続的な教育およびネットワーキングの機会にも触れ、「消費者、生産者、メディアを結びつける役割を、私たち個々では決して成し得なかった形で果たしてきた。その献身は、ニューヨーク州におけるワイン産業の成功に不可欠である」と評価している。

そしてテイラー氏は、40周年に際して取材に応じたすべての人々の思いを代弁する形で、次のように締めくくっている。

「ニューヨークワイン&グレープ財団の次の40年に、乾杯。」


画像提供:NYWGF

※本記事はワインライターのKathleen Willcox and Robin ShreevesがNYワイン&グレープ財団のために執筆した記事の抄訳版です。